検事の転勤

前田恒彦検事の転勤って、どんなもの?」(2016/1/16)

 いわゆる郵便不正事件捜査における証拠改竄事件で懲戒免職となった前田恒彦大阪地検特捜部検事の記事。検察組織における転勤について、わかりやすく説明してくれています。以下、その概要を簡単にまとめてみます。

 検事は概ね2〜3年ごとに転勤となります。毎年4月が異動時期となっており、基本的には、1月上旬から中旬ころに異動予定の検事に対して「意向打診」が行われ、2月末か3月はじめころに正式な内示、そして4月1日付けで異動辞令を受け取り、数日中には新任地へと着任するという流れになります。

 転勤の際、一応、異動希望地を出せるものの、前田氏によると、家庭の事情など「プライベート上の特別な理由でもない限り、また、ほとんど誰も希望しないポストを希望したような場合でもない限り、なかなか個々の検事の希望どおりには異動できないというのが現実だ」。ポストの数には限りがあるので、それも致し方なしといったところでしょうか。上記の「意向打診」はあくまでも「意向打診」なので断ることも可能ではあるけれども、やはり断ってしまえば自分の評判を落としてしまうことになるでしょう。「そのため、ほぼすべての検事が不承不承であっても意向打診を承諾している」とされています*1

 前田氏も書いていますが、転勤は当然ながら「家族にとっても関心事」。引っ越しが必要となれば、実際の引っ越しの作業から子どもの学校等々についても考えなければならなくなります。これを読んで思い出されたのは、元検事で当時弁護士の上田不二夫氏が1975年7月1日の朝日新聞朝刊に寄せた、検事志望者の減少に関する投稿です。結構赤裸々に書いています。

 検事の実情をあげてみよう。転勤がはげしい。裁判官には転勤に対する不同意権がある。判事補は1ヵ所に3年ぐらい、判事になれば10年間1ヵ所に居すわることもできる。検事は2年ぐらいで転任し、昇進しても同じこと。ピアノ、耐久消費財、図書をたずさえ、転任旅費を自腹で穴うめする浮き草稼業で、官舎もお粗末。かなりの田舎にも行かねばならぬ。加えて近時の教育過熱は、こどもの転校、習いごとの中断など妻の協力が得がたくなっている。若手ほど転勤の影響は大きい。弁護士には転勤はないというのに*2

 前田氏は頻繁な転勤も意外に悪くないものだと言っていますが(嫌な上司と別れられ、気分が一新されるので)、しかしやはりどの場所のどのポストに配属されるかという人事は不満の種になります。この点について、人事担当者の側から書いているのが、かつて法務大臣官房人事課長を務めた堀田力氏です。少し長くなりますが、彼の著書から引用しておきます。

自分に下った人事異動に対し、多くの人が不平不満を洩らすのです。たとえ不平は言わないにしても、よかったと思う人は少ないのが現実で、つまり、人事権者の評価と、各自の自分に対する評価との間にギャップが出てくるのです。
 人事権者は、その人の仕事ぶりなどいろいろな情報を集め、できる限り公平に人事を決めているはずだし、どこからも不満が出ないように人事を組みたいというのが、人事権者に共通する願いです。
 もちろん、人が人を評価するのだから、完全に公平ということはありえない。どうしても主観的な部分は残るでしょう。しかし、結果が人事異動となってあらわれるまでに、何人もの人が調整をしていることも考えると、客観的評価からとんでもなくかけ離れた評価というのも、まずありえない。
 にもかかわらず、受け取る側から必ずと言っていいほど不満が出るのは、彼らが自分の能力を人事権者よりも高く評価しているということに他ならないのです。
 その証拠に、他人の人事異動については、たいていの人が「適当だ」と感ずる。あるいは、自分と比較して、むしろ高すぎるのではないかと思うことはあっても、低すぎると不平を言う人はめったにいないでしょう。
 あるいは、ライバルとの関係において、人はなんとなく自分のほうが冷遇されたような気になるものですが、自分より厚遇されていると感じているライバルのほうだって、同じように自分の人事異動の結果にやはり満足はしていない。お互いさまなのです。
 いみじくも、なくなられた伊藤栄樹元検事総長は、「人は己の能力を2割がた高く評価している」と言われましたが、私の経験からしてもそのとおりで、人事権者と受け取る側との評価の落差は、ほぼ2割ぐらい。このギャップが、人事異動のときに不満となって出てくるのです*3

 こんなふうに人事を語る堀田氏も、そのやり方について、ある元検事の方から非難を受けています。たしかに、これが事実なら、もうちょっと言いようがあったのではという感じにもなります。

 私の退官直前、あるところで飲んだあと、ある人の家に行った時、そこに来た堀田力法務省人事課長(13期)が私にいった。
 「組織の整理のためには鈴木検事にやめてもらわざるを得ないのだ」と。私はこの冷たい言葉を忘れはしない。私の29年の検事生活を組織のために整理してしまうとは何と情ない言葉だ。人事課長ともなればもっと賢明な口の利き方はなかったのか。実際は組織の整理のため、あるいは組織の活性化のためであったとしてもいい。しかし、もう少しソフトに口に入るようにオブラートに包んでもらえなかったのか。堀田氏はもともと大阪系統の検事であり、私も彼がロッキード事件で登場するまではその名も存在も知らなかった。彼も私のことは知らなかったはずである。相手をよく知らなければ、もっと別な口の利きようがあったと思うのである*4

*1:以上、すべて上記記事を参照。

*2:上田不二夫「検事志望者激減の理由 きつい勤務・多い転勤・薄い栄光」(朝日新聞1975年7月1日朝刊)。

*3:堀田力堀田力の「おごるな上司!」』講談社、1998年、p. 21-22。

*4:鈴木薫『昭和検察流れうた』南雲堂、1995年、p. 395。ちなみに著者は11期なので、堀田氏よりも先輩ということになります(年齢も上)。

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