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Brexit判決と司法の独立性

司法 政治 イギリス

 今月3日、イギリス高等法院は、Brexit(イギリスのEU離脱)につき、リスボン条約50条の発動には議会の承認が必要であるとの判決(R (Miller) v Secretary of State for Exiting the European Union。ここでは便宜上Brexit判決と呼ぶことにします)を下しました*1。これに対して政府は上訴の方針を明らかにしていますが、テレグラフが「裁判官 vs 人民」、デイリー・メールが「人民の敵」と煽り立てると、これに対する反論が起きるなど、話題になっているようです。

 今回の判決は高等法院の3人の裁判官により下されました。トーマス卿(Lord Thomas of Cwmgiedd)は首席裁判官(Lord Chief Justice)で、1969年にバリスターになった後、1984年にアシスタント・レコーダー、1987年にレコーダー、そして1996年に高等法院の判事となり、女王座部(商事法廷)に配属。その後は、2003年から控訴院の上級裁判長(Senior Presiding Judge)、2011年から女王座部長となり、2013年に現職である首席裁判官に就任しました*2。テレンス・エザートン記録長官(Master of the Rolls)は、首席裁判官に次ぐ地位である記録長官につい先月就任したばかりという人物で、それまでは2013年から大法官部長を務めていました。フェンシングの選手としてモスクワ五輪への出場資格を得たという経歴も持っています(実際にはアフガン侵攻への抗議でボイコット)*3。フィリップ・セールズ裁判官は控訴院判事(Lord Justice of Appeal)。1985年にバリスターになった後、1997年に民事裁判所で政府を弁護する立場というFirst Junior Treasury Counsel(どう訳せばいいのかわからないのでこのまま書きます)に就任。当時、首相を務めていたトニー・ブレア(および当時の大法官であるアーバイン卿)とは同じ事務所(law chambers)に属していたそうです。2014年に現職に就任*4

 冒頭にも書いたように、Brexit判決に対しては議員やメディアから辛辣な批判が浴びせられているようですが、最も露骨なのはデイリー・メールかもしれません*5。なにしろタイトルからして、「人民の敵—1740万人のBrexit投票者を無視することで『民主主義に対する戦争を宣言』し、憲法危機を誘発しうる『なにもわかっていない』裁判官たちに対する怒り」となっています。この記事は、判決を強く批判する議員らの発言を引用しながら、判決について政治的観点から説明されています。たとえば、トーマス卿は「熱心なEU贔屓」、セールズ判事は「ブレアの仲間」として描かれ、主要な離脱論者であるダグラス・カースウェル議員(保守党→UKIP)の「ショッキングな司法積極主義だ——これらの裁判官はアカウンタビリティを負わない政治家である」とする発言で記事は締められております。実際、「高等法院のショッキングな『司法積極主義』に対する怒りはウェストミンスターで強く、上級裁判官の任用方法の再検討を求める声もあった」とされています。 

 こうした「攻撃」は、要約すると裁判所が「民主主義の敵」と化したということになるかもしれませんが、これらの批判はむしろ「民主主義社会の基盤を損なわせようとしている」と真っ向から反論するのがガーディアンです*6。曰く、「法の支配は民主主義社会の基盤である。それにより汚職や権力の濫用はチェックされうる。個々人は自らの人生を秩序立てることができる。民間企業が、公的機関が、そして政府が自らの活動を効果的に調整することができる。法の支配が守られねばならないとすれば、独立的な司法部の存在が肝要となる」。Brexit判決に対するこれらの「攻撃」はそうした「政治的自由と司法の独立性を傷つけるおそれがある」ものである、と述べています。また、首相や大法官には司法部に対する支持を明確にするよう要求し、「ただ傍観していては衆愚政治が法の支配を凌駕することを後押ししていることになる」と記事を締めくくっています。勝るとも劣らずと言ってよいかわかりませんが、こちらはこちらでかなり厳しい口調で批判をしています。加えて、ガーディアンは他国における裁判所の行動を取り上げ、それが「人民の敵」ではないと論じています*7

 さらに、ガーディアンには、「Brexitメディアによる裁判官への悪意に満ちた攻撃は民主主義に対する脅威である」というタイトルで、ファルコナー卿の論説が掲載されています*8。ここから一部抜き出しておきます。

 我々の裁判官は政治をやるのではない。法をやるのだ。彼らはその法的能力に基づいて裁判官に選任されている。彼らの政治的な忠誠〔の所在〕は無関係であり、その選任においてなんら考慮されていない——これは、たとえばアメリカと異なる点だ。アメリカの最高裁判所の裁判官は、2000年大統領選挙においてアル・ゴアジョージ・ブッシュかの選択に直面し、それが裁判所で争われたとき、自らを任命した政党の側に立った。従って、ブッシュが勝利したのは民主党の任命した裁判官よりも共和党の任命した裁判官の方が多かったからだ。イギリスをグローバル経済においてこれほどまでに強力なプレイヤーにしている1つの要因は、政治が法の支配あるいは裁判所の決定に影響しないということである。裁判所の判決が政治によって影響されないことがわかっているため、イギリスは企業を惹きつけている。
 イギリスの人民は、裁判官の独立性と質を信頼し続けている。しかし、それらはともに、このBrexitに触発されたメディアの酷評によって傷つけられている。Brexit支持者の態度はこのような感じに見える——政府が首相の発言に対する人民の権利を剥奪し、裁判官の権威をカジュアルに傷つけるのを妨げるといった、そのような憲法上の保護を誰が気にするというのだ?それはきわめて有害であり、裁判官対人民というまた別の紛争を引き起こす。
 私たちはレファレンダムの投票に沿ってEUを離脱しなければならない。しかし、その過程において憲法上の枠組みを傷つけないよう気をつけなくてもならない。民主主義と法の支配は我々の憲法の2つの柱である。
 判決を読めば、裁判官がその裁判官としての誓約に忠実に従い、法と事実に沿って事件を判断した、ということに疑いはほとんどない。議会の承認もない政府の指令で取り除かれえない法的権利を市民は有する、という原則には争いの余地がない。裁判官が判断しなければならないのは、1972年の欧州共同体法により付与された権利がその原則の例外である程度である。国内法に組み込まれたこれらの権利は例外とはならないと裁判所が結論づけたことに驚きはなく、数十年前に遡って先例を引用したことはそれを明確にした。この判決は、EUを離脱するべきではないとか離脱は遅らせるべきだとかを言っているのではなく、憲法に反してではなく憲法に沿って行われなければならないと述べているのだ。法的推論の1つとして、それは広く認められた原則と過去の判決の両方に深く根ざしている。この判決は広く知られた原則を再確認し、正式な方法でそれをBrexitへと適応しているのである。

なお、ファルコナー卿はブレア政権で大法官を務め、最近まで労働党の影の司法大臣・大法官を務めていた人物です*9

*1:詳細は、たとえば、BBCニュース「【英EU離脱】手続き開始には議会承認必要 英高等法院」(2016年11月4日更新、2016年11月6日確認)、同「【英EU離脱】ブレグジットどうなる 『議会承認必要』判決の意味は」(2016年11月4日更新、2016年11月6日確認)参照。

*2:Courts and Tribunals Judiciary "Lord Chief Justice of England and Wales - The Rt. Hon. The Lord Thomas of Cwmgiedd" (last updated 2016/4/13, last visited 2016/11/6).

*3:Courts and Tribunals Judiciary "The Master of the Rolls - The Rt. Hon. Sir Terence Etherton" (last updated 2016/4/13, last visited 2016/11/6).

*4:Wikipedia "Philip Sales" (last visited 2016/11/6).

*5:Daily Mail "Enemies of the people: Fury over 'out of touch' judges who have 'declared war on democracy' by defying 17.4m Brexit voters and who could trigger constitutional crisis" (last updated 2016/11/4, last visited 2016/11/6).

*6:Guardian "The Guardian view on Brexit ruling: the response to the courts threatens to undermine the bedrock of a democratic society" (last updated 2016/11/4, last visited 2016/11/6).

*7:Guardian "Judges' actions around the world show they are no enemy of the people" (last updated 2016/11/4, last visited 2016/11/6).

*8:Guardian "The vicious assault on UK judges by the Brexit press is a threat to democracy" (last updated 2016/11/4, last visited 2016/11/6).

*9:以上は11月6日にラフに書き上げ、そのまま放っていたのをアップしたものであり、それ以降の動向を追えていません。上述のとおり、政府は最高裁へと上訴しました。12月5日から4日間、審理が行われ、判決は来年に下される予定です。BBC "Brexit court ruling appeal date set for 5 December" (last updated 2016/11/8, last visited 2016/11/14).